三宅乱丈先生は上野顕太郎先生からのご紹介です

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漫画家になる夢は小さい頃からあったのですか?
いえ、短大を中退後は、東京の専門学校に通って就職先も東京だったんです。ところがバブルがはじけて会社が倒産してしまったんです。それで、北海道の実家に戻ったんですが、その時に会社勤めは私に向かない…一人でできる仕事はないかなって考えた時に、初めて漫画を描こうと思ったんですよ。それまでは、どちらかというと妹の方がすごく漫画が上手く、妹が漫画家になるんじゃないかと思ってたんで、自分が漫画家になるなんて全然考えたことなかったですね。でも、もともと絵を描くのは好きだったんで、東京での仕事もデザインとかイラストとか絵を描く仕事をやってました。
では、描き始めたのは遅かったんですね
そうですね。描き始めたのは二十代後半でした。それまで、自分は長女なので、ちゃんと就職しないと駄目なんだろうなという気持ちがあったんですけど、下の妹や弟たちが結婚して家を出てしまったら、なんか心配が無くなっちゃって、じゃあ自分の好きなことしてみようかなと思って始めたんですよ。
初めて漫画を描いたときの感想はいかがでしたか?
自分は下手の横好きで、妹より下手でも絵を描くのがすごく楽しくて好きだったんです。初めて漫画を描いたときに、イラストとかだと一枚の紙にひとつしか描けないんで、ストーリー漫画だと一コマ一コマに絵をかける……たくさん絵が描けてすごく嬉しかったですね。ただトーンの削り方とか全然知らなくて、細かいところとかも一生懸命切り取ってたんですよ。
出版社の投稿や持込は…?
いろんなところに投稿しました。見てもらって、批評をもらえるのも嬉しかったんですが、ダメだとすぐ返ってくるんですよね。だから、返却が遅いと少しは良いのかな……なんて期待したりして、雑誌の中間発表とか見るのがすごく楽しみで、ゲームみたいな感覚でやってました。
デビューは……
講談社の『モーニング』です。ところが間違って応募しちゃったんです。というのは週刊は描くのが大変そうだったんで、自分には週刊をやりこなすほどの力がないし、おまけに家が北海道だし月に一本描ければいいと考えてて……でも仕事が入るかどうかもわからないのに、毎月の仕事がこなせればいいようにって練習するつもりで描いていたんですよ。だから、ずっと月刊誌に応募していたんですが、描きあげた日で一番締め切りが近い出版社に手当たり次第送ってたんです。で、『アフタヌーン』が応募締め切りが二日後だったので、送ってしまったんです。そうしたら、なぜか『週刊モーニング』の編集の方から電話があって……当時『モーニング』と『アフタヌーン』は同じ編集部だったんで、そのせいかなと思って気に止めてなかったんですけど、よくよく聞いたら『モーニング』の連載の話になっていくんで、“あれっ”と不思議に思って聞いてみたら、応募したのが『モーニング』の賞だったんです。それで、運よく受賞したのですが、『モーニング』って週刊誌だったんですよね。しばらくしてから気がついたんです。(笑)
連載はいつ頃から……?
『モーニング』で受賞したら、今度は“ギャグ漫画を描いてみないか”と言われたので、編集担当者と一年くらい打ち合わせして、それでお坊さん漫画はどうかって話になったんです。その時、たまたま私のいとこの友達がお坊さんの修業をしてたので、いとこにその友達の事を聞いてみたら、いろいろと面白い話が出て来たんで、“これ描けるかな”と思って、編集者に“やるっ”って言っちゃって、「ぶっせん」を描くことになったんです。宗教の事とか全然知らないので、いろいろ本買って調べたりして勉強になって面白かったです。
男性誌を選んだ理由は……?
少女漫画は読むのはけっこう好きなんですけど、少年誌とかに比べたらあんまり読まないですね。昔、「マカロニほうれん荘」とか「ストップ!!ひばりくん」とか読んでいて、少女漫画よりも抜群に面白くてカルチャーショックを受けちゃったんです。そんな影響で少女誌で描こうと考えたことはなかったです。
ペンネームが男性っぽいですね
本名がすごく女の子っぽいんで、少女漫画だったらいいんでしょうけど、そういうイメージをつくられたらイヤだなと思って、この名前にしたんです。毎月投稿してた時に、ペンネームを考えるのがすごく楽しくていろいろ変えて送ってたんですけど、縁起かつぎっていうか、賞に入った時の名前を使おうって決めたんで、それがたまたまこの名前だったんです。。
漫画家になることにご両親の反応はいかがでした?
漫画とか読まない人なんで、多分ワケが解らなかったと思うんです。『モーニング』って雑誌自体知らなかったですからね。だから、『モーニング』の編集さんと打ち合わせしている時にも、生活が大変だろうとバイトの話とか持ってきたりしたくらいです…ネームを上げようと思っててすごく忙しい時に、部屋に閉じこもっていたらヒマだと思われていたみたいで、「ちょっと外に働きに出た方がいいんじゃない?」とか言われたこともあったし、掲載された雑誌を見せながら、“このように毎週描いて上げなきゃいけないんだ”と教えても、それでも解ってなかったみたいです。やっと単行本が出て見せたら“あら、本になるのね”って初めて解ってくれたんですよ。
遅く描き始めたことにプレッシャーはありましたか?
いえ、特には……。間違って『モーニング』に送っちゃったということもありましたが、年齢的にも遅れて始めたんだか、他の人に比べて出来なくて当たり前なんだし、だからもっとがんばらなくちゃいけないって気持ちもあったんで、気分的にはかえってラクでした。
プロになってから、漫画に対する見方とか変りましたか?
他人の作品をやっぱりワクワクしながら読んでしまうので、自分では全然変ってないと思います。ただ、漫画を描こうとした時に、他の作家さんがどうやって描いているのかは、いろいろ分析して構成とか参考にはしたりしますね。
作品を描くうえで気をつけていることは……?
「ぶっせん」を描いてる時に一番大事にしてたのは、思いついたときに自分が“フフッ”って笑えたかどうかです。でもね、これってだんだん練ってるうちに「最初にこれっておかしかったはずなんだけど」っていうふうになって、解らなくなってきちゃうんですよ。だからなるべく最初に“フフッ”と笑ったことを信じて、それをオチにもっていくんです。……その最初の感覚を信じて、人に解ってもらおうと思って描いた時に編集の方が読みますよね。その感想が“面白かった”って言ってくれたら、“ああ、私の考えた面白さが伝わったんだな”って解って、こういうキャッチボールみたいなのがいいなと思います。
今後の目標は……?
いつでも現在執筆中の作品を夢中にやるしかないですね。
漫画家志望の読者へ一言アドバイスをお願いします!
働けど働けどわが暮らしは楽にならず、じっくり手をもむ。それでも楽しいですので、頑張って下さい。
ありがとうございました。お友達の漫画家さんをご紹介下さい。
インテリ女王の松田洋子先生です。先生の作品を読むと、こっちまで頭が良くなる気がして有り難いです。
「ぶっせん」全6巻発売中!
講談社 各600円(税別)